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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)159号 判決 1983年1月27日

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 長濱靖

被告 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 岸井八束

同 小長谷國男

同 今井徹

被告 大阪市

右代表者市長 大島靖

右訴訟代理人弁護士 尾崎亀太郎

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して、原告に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する昭和三五年一月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告大阪市は、大阪市立九条東小学校(以下「九条東小学校」という。)の設置者であり、昭和三五年一月一六日当時、原告は、九条東小学校の四年生であり、被告乙山春夫(以下「被告乙山」という。)は、原告の同級生であった。

(二) 訴外赤尾トミ江(以下「赤尾」という。)は、右当時、九条東小学校において、原告及び被告乙山の担任教諭であった。

2  事故の発生

原告は、昭和三五年一月一六日午前、九条東小学校の屋上において、他の同級生とともに、赤尾の指導のもとに算数の授業で目測及び実測の実技をしていた際、被告乙山が投げ上げた下敷を右眼に受け、そのために右眼の眼球を切る傷害を受けた(以下右事故を「本件事故」という。)。

3  被告らの責任

(一) 被告乙山の責任

被告乙山は、大勢の同級生のいる場所において下敷を投げ上げるときはそれが他の同級生の身体に当り身体に傷害を与える危険があるので、右行為を慎むべき注意義務があるのに、不注意にも前記のように大勢の同級生のいるところにおいて下敷を投げ上げて本件事故を惹起したものであり、民法七〇九条による責任を免れない。

(二) 被告大阪市の責任

(1) 小学校の教諭は、児童に対する安全保護監督義務を負っているが、更に、屋上での授業の場合には、児童は教室内での授業と違って遊び気分が発揮されるから、児童の行動に対する十分な監視及び制止の義務が加重されるところ、被告大阪市の公務員である赤尾は、その職務を行うにつき右義務を怠り、本件事故を未然に防止することができなかった。

よって、被告大阪市は、民法七一五条又は国家賠償法一条による責任を免れない。

(2) 仮にそうでないとしても、被告大阪市は、昭和三五年一月一七日、原告の法定代理人である原告の両親との間で、本件事故に基づく原告の全損害を賠償する旨約した。

4  損害

原告は、本件事故により右眼外傷性白内障及び虹彩前癒着の後遺症が残り、そのため、昭和五〇年五月一三日、白内障全摘出の手術を受けたが、視力の回復は十分でなく、現在の視力は、右眼が〇・〇一、左眼が〇・三である。そして、本件事故による後遺症は、同年九月二七日現在においても固定していない。

したがって、損害額は、次のとおり合計二七四九万一六八二円である。

(一) 慰藉料

右眼外傷性白内障による視力減退の慰藉料としては、五二二万円が相当である。

(二) 逸失利益

原告の右眼視力減退は後遺障害等級第九級に該当するから、原告は、これにより労働能力の三五パーセントを喪失したとみるのが相当であるところ、原告の本件後遺症の固定日を一応昭和五五年九月二七日とすると、右当時の原告の一か月の収入は一七万円であるので、原告の一か月当りの減収額は九万一五四〇円であり、一年当りの減収額合計は一〇九万八四八〇円となる。

そして、原告の右同日当時の年令は三一歳であるので、就労可能年数は三六年となり、新ホフマン係数は二〇・二七五である。

そこで、前記一年当りの減収額一〇九万八四八〇円に右新ホフマン係数を乗じて右同日現在における原告の逸失利益の現価を算定すると、二二二七万一六八二円になる。

5  よって、原告は、被告乙山に対しては、民法七〇九条による損害賠償請求権に基づき、被告大阪市に対しては、民法七一五条若しくは国家賠償法一条による損害賠償請求権又は前記3(二)(2)記載の約定に基づき、右4の損害金の内金一〇〇〇万円及びこれに対する本件事故の発生した日の後である昭和三五年一月一七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  被告乙山

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2の事実のうち、本件事故発生の日については否認し、その余は認める。本件事故発生の日は、昭和三五年一月一二日である。

(三) 同三(一)及び同4の事実は否認する。

2  被告大阪市

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2の事実のうち、本件事故発生の日については否認し、その余は認める。本件事故発生の日は、昭和三五年一月一二日である。

(三) 同3(二)の事実について

(1) (1)のうち、赤尾が被告大阪市の公務員であったことは認め、その余は否認し、争う。

(2) (2)は否認する。

(四) 同4の事実は否認する。

三  被告大阪市の主張

赤尾には、本件事故の発生について、次のとおり過失がない。

1  赤尾は、本件事故の発生した際の算数の授業を行うに当って、児童に対し、事前に教室で実測の方法等について説明を行い、児童を屋上に連れて行ってからは、児童に対し、物を投げたり、屋上から身を乗り出したり、ふざけたりしないように細かい注意を与えるとともに、児童を八グループに分け、各グループごとに責任者を定めて児童との連絡を緊密にしたうえ、児童に目測及び実測の実技を指示した後は、児童を見渡せる位置で児童を常時掌握し監督していたのであって、赤尾の児童に対する指導監督は適切であった。

2  また、屋上で授業を行うことは一学期に二、三回あったが、本件事故が発生するまでに屋上での授業中に児童が下敷を投げるといった行為に出たことはなく、しかも、被告乙山も、成績優秀な児童で、平素粗暴な振舞をするようなことはなかったのであり、本件事故の発生は予見することができなかった。

3  そして、本件事故は、附近の児童も全く気付かないほど突発的かつ瞬間的に発生したものであり、その発生を回避することは不可能であった。

四  抗弁

1  被告乙山の抗弁

被告乙山は、昭和二四年六月二日生まれであり、本件事故当時、年令はわずかに満一〇歳余りにすぎず、自己の行為の責任を弁識するに足るべき知能を有していなかった。

2  被告らの抗弁

(一) 除斥期間の経過

本件事故発生の日は昭和三五年一月一二日であるところ、それから既に二〇年を経過したから、原告の損害賠償請求権は消滅した。

(二) 消滅時効

(1) 本件事故の後遺症は、原告が昭和五〇年五月一三日白内障全摘出の手術を受けたことにより症状が固定し、かつ、原告は、右同日右損害の発生を知ったところ、それから既に三年を経過したから、原告の損害賠償請求権は時効消滅した。

(2) 被告らは、本訴において右時効を援用する。

五  抗弁及び被告大阪市の主張に対する認否及び原告の主張

1  被告大阪市の主張は争う。特に、1の事実のうち、赤尾が児童に対し事前に具体的な注意をしたとの点は否認する。

2  抗弁1の事実のうち、被告乙山が本件事故当時自己の行為の責任を弁識するに足るべき知能を有していなかったとの点は否認する。被告乙山は、本件事故当時、同学年の他の児童と比較すると群を抜いて優秀であり、自己の行為の責任を弁識するに足るべき知能を有していた。

3  抗弁2の事実について

(一) (一)のうち、本件事故発生の日が昭和三五年一月一二日であることは否認する。

(二) (一)及び(二)について

原告の本件事故による後遺症は、昭和五五年九月二七日の時点においても固定しておらず、後遺症が固定するまでの間は除斥期間も時効も進行しないから、原告の本件損害賠償請求権は除斥期間によっても時効によっても消滅していない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は、原告と被告らとの間に争いがない。

二  請求原因2の事実は、本件事故発生の日の点を除いて、原告と被告らとの間に争いがない。本件事故発生の日については、《証拠省略》を総合すると、昭和三五年一月一二日であると認められ(る。)、《証拠判断省略》

三  被告乙山の責任について

被告乙山が本件事故の当時満一〇歳余りであった事実については、原告において明らかに争わないから自白したものとみなす。《証拠省略》によれば、被告乙山は、本件事故の当時、クラスの中で学業が優秀な児童であったことが認められるが、満一〇歳の児童においては、クラスの中で学業が優秀であったとしても、直ちに自己の行為の責任を弁識するに足るべき知能を有しているものということはできず、被告乙山について右知能を有していたとする特段の事情を認めるに足りる証拠もない。

そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被告乙山は、本件事故について責任がない。

四  被告大阪市の責任について

1  請求原因3(二)(1)について

(一)  本件事故が九条東小学校四年生の算数の授業として同小学校の屋上において実施された目測及び実測の実技の際に発生したことは原告と被告大阪市との間に争いがないところ、右事実、《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1) 赤尾は、昭和三五年一月一二日、九条東小学校の屋上での目測及び実測の実技を実施するのに先立ち、担当の四一、二名の児童に対し、教室で実測の方法等の説明を行い、その後児童を屋上に連れて行ってからは、児童に対し、下へ物を投げないこと、ふざけたりしないこと等の一般的注意を行った。そして、赤尾は、約四〇人の児童を八グループに分けるとともに、各グループごとに責任者を決めたうえで、児童たちに実技を実施させ、みずからは児童を監督していた。児童の中には遊んでいるものもおり、また、児童たちがグループごとに話合いをしながら実技を行っていたこともあって、多少ざわついていた。授業時間の後半になり、ほぼ実技も終わりかけた段階になって、本件事故が発生した。しかし、赤尾は、右授業時間中は、本件事故の発生したことに気が付かなかった。

(2) 本件事故の発生した当時、児童たちの間で下敷投げ遊びが流行しており、被告乙山もその遊びをしたことがあった。この遊びは、教室内で行われたこともあったが、赤尾のクラスでは授業中に行われたことはなかった。

(3) 被告乙山は、やんちゃな面はあったが、特に目立ってやんちゃなことをするような乱暴な子供ではなかった。

(二)  以上の事実を前提にして、赤尾の過失の有無について判断する。

前示のとおり、本件事故は、屋上での算数の実技の授業中に発生したものであるが、解放的な屋上での授業であったこと、しかも、児童が低年令の小学校四年生であったことを考慮すれば、右授業中児童が解放的気分になって自己又は他人の身体に危険を及ぼすような行為に出ることも予想されたものというべきであるから、右授業を担当した教諭である赤尾としては、児童が右のような危険な行為に出ることを防止し、もって児童の身体の安全を保護するための十分な措置を採るべき注意義務があったものというべきである。そこで、赤尾の現に採った措置について検討すると、前示のように、赤尾は、屋上において、事前に、児童に対し、下へ物を投げたり、ふざけたりしないように注意を行ったうえ、児童を八グループに分け、各グループごとに責任者を決めて実技を実施させ、みずからも児童たちを監督していたのであって、赤尾の採った右措置は、児童が前記危険な行為に出るのを防止し、もって児童の身体の安全を保護するために採るべき措置として十分なものであったというべきである。したがって、赤尾の措置に過失はない。

もっとも、赤尾は、下敷投げという具体的な行為までをも予想しこれを防止するための特別の措置は採っておらず、また、被告乙山を特に監視するということも行っていない。そして、前示のとおり、本件事故の発生した当時、児童の間では下敷投げ遊びが流行しており、また、被告乙山もその遊びをしたことがあった。しかしながら、下敷投げ遊びが本件事故当時授業中に行われていたこと、また、赤尾が児童の間でそのような遊びの流行していた事実を知っていたことを認めるに足りる証拠もないから、赤尾にとって、本件事故に際し、児童が授業中に下敷を投げるという具体的な行為についてまで予見することは不可能であったというべきであり、したがって、そのような具体的行為を念頭においた特別の措置を採らなかったことについて、赤尾に過失の責を問うことはできない。また、被告乙山は、特に注意を要する児童であったわけではなく、赤尾が特に被告乙山を監視していなかったことについても、赤尾に過失は認められない。

2  請求原因3(二)(2)の事実については、これを認めるに足りる証拠がない。

3  そうすると、被告大阪市も、その余の点について判断するまでもなく、本件事故について責任がない。

五  以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石井健吾 裁判官 平澤雄二 森一岳)

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